高仁神社

「仁礼」は、その昔この場所に「ニレ」の樹林が広がっていたことからその名がつき、中世には「楡井<ニレイ>」と書かれていたそうです。


大笹街道の宿場町であった須坂市仁礼には、鎮守の神として
「高仁神社<タカヒトジンジャ>」が祀られています。
この「高仁神社」は明治40年~42年に、仁礼地区に祀られていた緒社が相次いで合併することによって、こう呼ばれるようになりました。
それまでは「生守神社<イナモリジンジャ>」と呼ばれていたようです。

今でもこの地区の方の中には、仁礼地区を
「生森<イナモリ>」
と呼ぶ方がいるようですよ。


「生森を守る神社」で「生守神社」なのですね。


明治時代に合併した神社は
明治40年
関谷「道祖神社」、中村「若宮社」、浅間塚「富士森社」瀬ノ脇「滝ノ宮社」、宇原「諏訪社」
明治41年
仙仁「大磐仙源神社」、栃倉「鹿島神社」宇原「飯綱社」
明治42年
栃倉「皇太神宮」
と記録されています。
もともとの生守神社も含めると、11ヶ社も合併したことにもなるのです。

社殿は平成3年の調べでは、18世紀前期頃の建立と推測され、
拝殿正面の「高仁神社」の額は、旧須坂藩主14代藩主「堀直明」の
三男「直恭」の書なのだそうです。


高仁神社は
「拝殿へ続く参道が長いこと。」
「明治時代の合併により統合されたが、その前には沢山の神社がこの地域にあった。」
そのようなことからも
古来よりこの仁礼地区の人々より篤い信仰を受けてきたことがわかる神社なのです。





高仁神社


名前:高仁神社
取材日:2007/02/01
更新日:2020/12/18

参考文献

ふるさと須坂<須坂市教育委員会>
仁礼の里史跡マップ<仁礼地域づくり推進委員会>
仁礼誌<財団法人仁礼会>
その他参考資料

掲載している探検隊スペシャル